歴史

歴史

飯田城主2代 坂西由政(ばんざい よしまさ)が応永15年(約600年前)66歳の時に、正永寺殿賢峰道因大居士と号して入道し、風越山の麓、圜悟沢付近に庵を結んで閑居したのが始まりで、その後、正永寺原に一寺を建立し「正永寺」と称しました。

この地は虚空蔵山の麓に広がる高台で、正永寺の旧境内地には大公孫樹(長野県の天然記念物)、坂西家のものと思われる宝匡印塔・五輪塔が現存しています。   永禄5年(440年前) 坂西家8代長忠の時、松尾城主小笠原信貴との戦に敗れ、木曾谷へ落延びる途中、勝負平の一戦で坂西家が滅亡し(長忠の子延千代を祭る御君地蔵尊が大平に在る)、正永寺も一時荒廃してしまいますが、5年後の永禄10年に越後の国、保寧山顕聖寺6世の能霊自果大和尚が伽藍を修復して、曹洞宗の「正永寺」として再興し開山となりました。

文禄3年(410年前) 正永寺三世洞翁深鶴大和尚の時、飯田城主京極高知は戦略上の理由から外堀の内側に寺を配する事とし、命によって正永寺原より現在の地に移転しました。 その後、歴代の住職と、檀信徒の努力により、明暦2年に正永寺原に在った観音堂を移転して再建、元禄7年には鐘楼堂を、享保元年には山門を建立して寺域も整備されました。   しかし、天保3年(180年前)の火災により本堂・庫裡を焼失してしまいました。本堂は明治32年、二十三世慈法順応大和尚の時に再建されましたが、明治三十五年の災火により再び開山堂と共に焼失、二十四世千丈悦恩大和尚により大正2年に現在の本堂が再建されました。

庫裡は天保8年に松尾の木下家居宅を買い受けて本堂右横へ建立し、大正13年現在の場所に移築し、平成元年大規模修復をして現在に至っています

大正初期の絵葉書

本堂落慶の記念に配られた、大正時代初期の絵葉書です。

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坂西家

小笠原貞宗 初代―宗満(貞宗の三男) 正中5年4月8日松尾に生れ 建武2年郊戸の庄へ分家なし 貞和年中松原宿に城を築き 永和2年在京中卒す 53歳 法名賢戒 二代―由政(宗満の長男) 康和2年5月生る 母武田佐馬介直信女 […]

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歴代住職

開山 能霊自果大和尚 本寺―新潟の顕聖寺6世 天正1年3月16日遷化 81歳 2世 黙翁是廓大和尚 顕聖寺7世 天正18年5月30日遷化 3世 同翁深鶴大和尚 顕聖寺8世 文禄4年7月31日遷化 4世 甄室門察大和尚 顕 […]

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御君地蔵尊由来

坂西刑部少輔源宋満八代の孫坂西伊豫守長忠 永禄五年戌六月 松尾城主小笠原下総守信貴領分北方村山村にて横領の事あり依之信貴は甲州武田大膳太夫信玄に訴え同六月はじめより飯田の城を攻める 長忠力戦したるも衆寡敵しがたく同月十一 […]

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圜悟山正永寺之景

明治三十四年出版の書物より

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